まえがき
無意味にも価値があるとは思う、さつま芋です。
ユーチューバー(?)の鈴木けんぞう さんをご存じでしょうか。
ポケモンのレベル上げなどを実況されています。
最初の草むらでレベル100にする、といった数々の偉業を無広告で動画投稿されています。
生産性という観点からだけ見れば、なんと無駄な労力を…と思われるのでしょうが、私は尊敬の念を抱いています。
こうして考えると、無意味だなんて軽々しく言えないなと反省しています。
今回は「なんで古文の勉強するの?」という疑問を考えます。
確かに古文を実用するのは難しい
高校生になると国語科の授業に古典(古文・漢文)が加わります。
誰しも思う疑問として「なんで古文の勉強するの?」というものがあるのですが、たいてい解消されないまま卒業します。
学校の国語教師 曰く、「昔のことを知るため」らしいですが、あいにく納得できる説明ではありません。
国語教師や国学者にでもならないと古文を実用で使えないですから。
こういう疑問をウヤムヤにするから勉強嫌いを助長するんじゃないかと思います。
そもそも実用じゃない、のでは
唐突ですが、テレビドラマを実用に生かせる人って一部だと思います。
芸能関係者でもないと収入になりませんし、ドラマのレビューを生業にする人は極少数のはずです。
だからといってテレビドラマを見るのは何故でしょう。
「世間のことを知るため」ですか?
それもあるでしょうが、趣味が理由でいいと思います。
古文も、古典として難しく構えると反って本質を見失う気がします。
明確な身分のある世界、空想ではない命の奪い合い、病院のなかった時代の病などが どのようなものなのか、そんな興味の対象として捉えるのが自然だと思います。
あとがき
「なんで古文の勉強するの?」といった最も肝心な疑問を、先生も蔑ろにしているとしたら残念です。
カリキュラムや受験といった目先の必要性に振り回されると、本当の価値を見落とす気がします。
以上、さつま芋でした。