まえがき
こんにちは、さつま芋です。
善意のつもりで、教訓を投稿しております。
とはいえ、信頼関係のない人からの助言や説教なんて心に届くはずがないですから、雑談というより独り言です。
今回は正解の過信という雑談です。
正解を求めるのが人情だが
我々大衆は本当に「正解好き」だなぁと思います。
資格なら受かる勉強法、ダイエットなら痩せる方法、ブログなら集客する手法。
これらはどれも正解(成功例)を体系化したものです。
また、よくある疑問の「どうすれば良いのだろう?」や「なんとか良くならないものか?」も、本質的には正解を探そうとしているんですよね。
きっと未来永劫、正解を追い続けるのでしょう。
しかし、誰かの正解は 、必ずしも というか わりと、自らの正解にはならないものです。
そう聞けば、「当たり前だ」あるいは「そんなことない」と、素直に受け入れられないかもしれませんが、実際のところ我々大衆は正解を求めていると言えます。
というのも、「どうすれば悪いのだろう?」「なんとか悪くならないものか?」という発想は普通しないわけですから。
失敗は わりと普遍的
成功と失敗の比率を考えたとき、難題ほど失敗が多いわけですから、理屈で考えれば、成功よりも失敗の(統計の)ほうが信頼できるはずです。
以前に計算ミスの雑談をしましたが、ミスを類型化できると失敗を減らすことが可能です。
【雑談】計算ミスと蓋の開いたペットボトル - さつま芋の勉強日記
ところが、失敗の統計など大衆は求めませんから、盲点は盲点のままです。
資格なら落ちる方法、ダイエットなら太るための方法、ブログなら敬遠される方法に本当のヒントがあると思います。
ちなみに、ブログは大衆に寄り添わない雑談をすると、結果は顕著に現れます、まさに私のように。
あとがき
「正解好き」を言い換えると、失敗を恐れているとも言えます。
心理学に「損失回避の法則(プロスペクト理論)」というのがあるそうです。
この法則(理論)によると、同じ度合いの損失と利得ならば、損失の方を約2倍も過大評価してしまうそうです。
つまり、1万円の昇給よりも1万円の減給の方が辛く感じるということでしょう。
なんにせよ、人の感情は(陽より)陰に反応しやすいわけです。
何か利がないと称賛することは少ないですが、何の利がなくても非難することは珍しくありません。
重要ではない非難は控え、損得抜きで称賛できると良いですよね。
以上、さつま芋でした。