まえがき
こんにちは、さつま芋です。
なるべく普遍的な知恵を紹介しているつもりですが、過去記事どころか新着記事でも大衆の目を引くことはないようです。
寂しいなぁとは思いつつも、残念ながら大衆に歩み寄る術を知りません。
今回は凡ミスについての雑談です。
凡ミス
先日、計算ミスを見直しで防ごうとする人が居ました。
それ自体は突飛な発想でもなく、間違っているわけでもないのですが、かなり焦点がぼやけていると思います(悪口ではなく)。
では、少し例え話に置き換えてみます。
飲みかけのペットボトルが蓋の開いた状態で机の上にあるとします。
ペットボトルは手元からは随分 離して置いていたのですが、急に名前を呼ばれて慌てた際、ペットボトルに手が当たって中身がこぼれ出てしまいました。
さて、ここで質問です。
不注意を反省するとしたら、手が当たったことでしょうか、蓋を予め閉めていなかったことでしょうか。
その他の要因もありますが、ここでは直接的な原因か間接的な要因かを問うています。
直接か間接か
きっと、手が当たったことだけを不注意とする回答は多くないと思います。
おそらく回答の多くは、蓋を閉めていなかったこと、あるいは手と蓋の両方となるはずです。
このように少し冷静に考えてみれば、手が当たった直接的な原因の比重は それほど大きくないことが理解されるはずです。
話を計算ミスに戻しましょう。
不注意を反省するとしたら、計算ミスを見逃したことでしょうか、計算ミスの癖を予め克服しなかったことでしょうか。
感情的には計算ミスを見逃したことを指摘したくなりますが、蓋の開いたペットボトルに手を当てないように注意するのと似たような焦点のズレを感じます。
ここで補足すると、計算ミスには個人の癖が出ます。
私の場合だと、aをxと転記ミスをしやすい、カッコ同士の掛け算(分配法則)で2つ目以降の数字(係数・次数)をミスしやすいなど、自覚しています。
計算ミスの癖は まさに口癖のように自身では気づきにくいもので、誰かに指摘されるか、よほど意識しないと見過ごしてしまいます。
口癖を直す場合、普段から矯正すべきことを踏まえると、計算ミスを場当たりの見直しで防ごうとすることは対策というより懺悔に近い気がします。
あとがき
当たり前のことでも自力で気づける人は多くありません。
まさに、リンゴと万有引力の関係です。
また、当たり前のことでも実践するのは容易ではありません。
まるで、期待値とパチンコの関係です。
自らの環境に感謝はしつつも、知恵を共有する仲間がいたら必要以上の回り道しなくて良かったのになぁと悔やんでいます。
負け惜しみに聞こえますが、成功って個人の才能や努力以上にコミュニティの力が大きいと思います。
以上、さつま芋でした。